皆様、こんにちは♪稲垣です。今回は『あかすりの歴史』についてです。
世界での歴史
〈古代の起源〉
古代ギリシャ・ローマ: 独自の浴場文化(テルマエ)を誇った古代ローマ人は、温熱浴で体を温めた後、「ストリジル(Strigil)」と呼ばれる青銅や金属製の湾曲したヘラ( scraper )を使い、体についた汗や垢を削ぎ落としていました。
中東(トルコのハマム): トルクメニスタンやトルコの伝統的な公衆浴場「ハマム」では、「ケセ(Kese)」と呼ばれるヤギの毛やシルクで作られた特別な手袋をはめ、何百年も前から全身の角質を落とすケアが行われてきました。
要約:古代ローマの浴場や中東の大衆浴場「ハンマーム」などで、皮膚の汚れや古い角質を落とすケアが行われていました。(起源には諸説あり)
〈韓国での歴史〉
韓国の先祖たち: 朝鮮時代以前(三国時代~高麗時代)にも身を清める入浴文化はありましたが、当時は麻の布や、柔らかい軽石、藁(わら)などを使って、優しく体を洗う程度のものでした。
韓国での発展: 1962年に釜山の織物工場で、ゴワゴワした輸入レーヨン生地を肌こすりに使った「イタリアタオル(あかすりミトン)」が発明され、大ヒットしました。これがサウナ文化と結びつき、現在知られる『韓国式あかすり』として一般化しました。
日本での歴史
日本でも歴史は古く、あかすり師という職業が記録に残っており、江戸初期には垢すりや髪すきを表向きの理由とした「湯女 (ゆな)」と呼ばれる女性たちがおり、性的サービス業まであった。
「三助」への継承: 湯女によるサービスが風紀上の理由で禁止された後は、「三助(さんすけ)」と呼ばれる男性従業員が浴室内での垢すりなどの世話を引き継ぎ、日本の銭湯文化に根付きました。
現代で見られるような専門的な技術としての「あかすり文化」は、韓国の伝統的な入浴習慣(セシン)に由来し、日本国内では昭和50年代以降のスーパー銭湯やサウナの普及とともに定着しました。
乾布摩擦は?
こちらは垢を落とすことを一番の目的ではないにしろ、あかすりとの共通点として皮膚をこすって血行促進や角質ケアを狙う健康・美容法です。こちらにも歴史があります。
起源と導入: インドのアーユルヴェーダ説などがあり、日本では戦前から学校教育や軍隊などで自律神経の鍛錬や風邪予防として導入されました。昭和時代(1980年代ピーク)に広く行われましたが、現代では皮膚科学的エビデンスに乏しく、肌を傷つける懸念から教育機関などでの実施は減少しています。
やり方: 乾いたタオルやブラシで乾いた肌を軽くこすります。
明治・大正期:導入と身体鍛錬
- 明治時代以降、西洋の体育理論や衛生学が流入し、日本でも国民の体力向上や虚弱体質改善が叫ばれるようになりました。
- 皮膚を刺激して病気への抵抗力をつける目的で、学校や家庭において、手ぬぐいを使った乾布摩擦が徐々に取り入れられ始めました。 [1, 2]
昭和戦前・戦中期:国家的な精神・肉体鍛錬
- 昭和に入ると日中戦争から太平洋戦争へと向かう時代背景のなか、健康増進は「国に尽くすための義務(忠君愛国)」と結びつけられました。
- 小学校(国民学校)の授業や朝礼の後、冬の寒さの中でも上半身裸になって「摩擦体操」や乾布摩擦を行うことが半ば強制的に励行されました。
- 昭和戦後〜昭和50年代:学校行事としての名残
- 戦後も昭和40〜50年代にかけて、冬の寒稽古や耐寒行事の一環として「上半身裸の乾布摩擦」を実施する小学校が全国で見られました。
- 「寒さに負けない強い子を作る」というスローガンのもと、多くの子供たちが寒風の中でタオルを背中に走らせました。
平成・現代:科学的視点と衰退
- 平成以降、生活環境の変化や暖房の普及、さらにインフルエンザなど感染症対策や効率的な保健指導への移行に伴い、学校での乾布摩擦は急速に姿を消しました。
- 現代の皮膚科学においては、乾いたタオルによる強い摩擦は皮膚のバリア機能を傷つけ、炎症や色素沈着を引き起こすリスクがあるとして、医学的な推奨はされていません。
まとめ
『韓国式あかすり』は最近のやり方だったみたいですね。日本もやり方は違えど江戸時代に職業として存在していたようですので驚きです。現代のあかすり、江戸時代のやり方、古代のやり方は異なりますが、時間をかけてより良いものにしようとすることは私たちにとって身体を癒やし、生活の質をあげていく一つになります。先人達の努力にとても感謝です。次回はあかすりをご利用する頻度やよくある質問などについてお伝えしたいと思います。






