そして、施術者となった。

春日井市鳥居松町の本格派清体店『Salon de SHY』の木場啓之です。昨日はサロン休業日でゆっくりしておりましたが、たまたま一番弟子の祐里那さんがサロンに来てくれることになり、急遽足つぼ勉強会に。久々に足つぼ資料を出してきて練習。「だいぶ技術が進化していますね」と言われたけど、それは当然のこと。僕はもともと、『この人からすべてを教わった』『今でもその人に教えてもらっている』という師がいないため、施術の一回一回が研鑽の場で学びの場。だから、僕にとってはお客様すべてが師であり、施術をすればするほどに僕の技術と思想は変化していくのです。

そもそも僕は【足つぼ】の魅力を知ってこの業界に入ってきた。当時サラリーマンをしていた僕は、たまたま元僧侶の修業をされていた【足つぼと易】を使う治療家に出会った。彼は「総本山と言われる寺には、必ずツボや経絡、足つぼなどが習得できる書物が残っている。だけど、それを勉強しても儲からないから今の僧侶はみんなお経ばかりを勉強している。」とぼやいていたのを覚えている。彼の技術は本当に驚くものだった。そこで、僕は東洋学のすごさを知り、その技術に魅了され3年ほどその方にくっついていた。それは、弟子としてではなく『ただのサラリーマンである患者』として。ほぼ毎週他県にまで通った。その方が何を言っているのか、その技術はいったい何なのか。その『真髄は何なのか?』をずーっと考えていた。それはそれは、真っ暗な霧の中をさまよっているような感覚を3年続けた。でも人というのは、どんな問題が生じても諦めず続けていれば、どんなことでも、ある程度整理ができて問題解決に進んでいく。同じように3年もさまよえば、ある程度整理が出来た。そんな時に、ふと我に返ってみると僕は『ただのサラリーマン』で職位は組長職になっていたけども、自分の【思っていること】と【言っていること】と【やっていること】の違いにものすごい気持ち悪さを感じたのだ。『僕は本当に人のためになることがしたい!』そう心底思った。と同時に辞表をだして脱サラした。

僕がこの業界に入って施術者となったのはそこから。だから僕の師は、その『サラリーマン時代の思い出』と、『今、目の前にいるお客様』なのです。当然、施術の仕方を全く知らなかった僕に押し方を教えてくれた先生や東洋学をさらに深めさせて頂いた先生方との深い出会いがあったことは言うまでもありませんが。だから僕には師という存在ある形を持っていない分、それはそれは膨大で、一生届かない師がいつもいる。しかもその師は寿命がないから、絶対に超えられない。そんな師を持てたからこそ僕は、言葉や見せてもらって教わってはいないけども日に日に進化できる。そんな師と出会えたことが、この人生の一番の幸せなのだろう。

僕がつくった足つぼ資料。僕のセミナーはすべて毎回資料を僕が作っている。似たような内容のセミナーでも時代は日に日に変わるため、この世のルール(法則)も変わる。つまり実は、昨日まで有効であった施術が今日からは無効なんてことも、たまに起こっている。それに気づけるのも、形のない師といつも側にいるからだろう。だから、必ずリアルタイムな情報をお伝えしたいので、毎回資料を作っているのです。今月もあとわずか、来月からのセミナー依頼が少し増えたので、これから本腰入れてつくっていこうと思います。

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